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フィラデルフィアで第2回大陸会議

1775年5月、フィラデルフィアで第2回大陸会議が開催され、戦争を全植民地の戦争として戦うことが決められた。また大陸会議はそのまま戦争を遂行するための常設機関となり、事実上の連邦政府としての役割を果たすことになった。1775年6月、バージニアのジョージ・ワシントンが植民地軍全体の総司令官に任命され、ワシントンは翌7月から指揮をとり始めた。

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大陸会議は、バージニア植民地代表のトーマス・ジェファーソンがジョン・ディキンソンとともに起草した「武器をとる理由と必要についての宣言」を採択した。

1775年12月、イギリスの軍艦に避難していたバージニア総督ダンモア伯爵は兵力を率いてバージニアに戻り、ノーフォークを根城として攻勢をかけた。このときダンモア伯爵は、自分に協力する奴隷には自由を与えると布告した。この布告がバージニア指導層を強く刺激し、イギリスへの反発を強めた。

大陸会議は1777年4月、植民地の貿易をイギリス以外のすべての国に解放することを決めた。そしてその頃までには、いくつかの植民地では、大陸会議で独立が動議された場合には賛成してもよいという訓令が送られた。

バージニア植民地議会では他の植民地に先駆けて、1776年5月15日に独立を宣言した。そして議会は大陸会議の代表に対して、13植民地の独立を提案せよという訓令を自らの代表に与えた。これを受けてリチャード・ヘンリー・リーは翌6月、大陸会議に独立と連合の形成、そして諸外国との同盟を求める決議案を提出した。大陸会議は独立宣言の起草委員にトーマス・ジェファーソンを任命し、ジェファーソンは独立宣言を起草した。

その一方でバージニア植民地議会は6月12日にジョージ・メイソンが起草したバージニア権利章典を採択、そして6月29日にはバージニア邦憲法を採択した。その後7月2日、大陸会議は独立を決議し、7月4日に独立宣言が採択された。独立により、かつての植民地から「ステイト」となった(1789年までの時期については「ステイト」は「邦」、それ以後は「州」とあらわすのが慣習となっている)。

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2009年04月30日 11:51に投稿されたエントリーのページです。

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